Colour Talks

ケアンズに7年、メルボルンに来て2年が経ちました。ダイビングインストラクターを経て、今はカラーアナリストとして、カラーを通してお会いできた方をHAPPYにしたいと毎日わくわく過ごしています。 カラーに関することの他にオーストラリアでの生活やふと感じたことなど書き込んでいきたいと思っています。

Tuesday, September 19, 2006

朝だったり夜だったりYOGAの先生が毎日のように、YOGAの前後に本当に色々な話をしてくれます。

そして、夢をかなえるためには100%信じきること。少しでも出来るかな?などと疑いの気持ちを持ってはいけないと、、、。

インド人の先生は、オーストラリアのワークビザが切れて、オーストラリアにいつまでいれるか分からない、、、という状態だったのですが、先生の中では、絶対にオーストラリアにいれる。
VISAはどうにかなると強い確信があったのだそうです。

そのうちに、タスマニアにスポンサーが見つかり、スイスから帰ってきたその日にビザがとれてしまったのでした。

そういう話をしていて、メキシコに単身行った時のことを思い出しました。
私はワーキングホリデービザでオーストラリアに来てすぐにダイビングのインストラクターになり、船で働きはじめました。

そんな中、たまたま手にしたダイビング雑誌にメキシコ、コスメルのターコイズブルーのきれいな海の写真を目にして、ここに仕事を探しに行こう!!と思い立ったのでした。

日本人の少ないところで、英語以外の言葉を学んで、自分を試してみたい。
こんな綺麗な海のところで働いてみたい!!と強く思ったのでした。

そして、ワーキングホリデーのビザが切れる前に、大好きなアメリカのサンデイエゴ経由で一人でメキシコへと飛び立ったのでした。

そして、そこで目にした透明度あふれる海の素晴らしさに心を打たれて、ここで働こう!!と思いを強くしたのでした。
2週間の予定だったのですが、早速就職活動を開始。
履歴書を持ってあちらこちらのダイブショップをまわりました。

そして、1件、ビザの準備が出来れば、働かせてくれる、、、というショップを見つけ、そのビザ取得のためにコスメル島の弁護士に会いに行って色々手続きをしたのでした。

PADIアメリカにダイビングインストラクターの証明書を発行してもらったり、VISAに向けて色々準備をはじめたのでした。

そして、お世話になった日本のメキシコ専門の旅行会社にビザのことで問いあわせをしたところ、その系列である現地のショップで働かないか?とお声もかけていただきました。

自分で探したところよりも条件が良かったのですが、よく聞くと、日本人で働いているインストラクターの方がいるが、その方のカスタマーサービスがあまり評判がよくなく、その人の代わりに働かないか、、、ということだったのでした。

私はコスメルでその方と、偶然お会いしたのですが、その方は確かに接客業が好きという感じではなかったのですが、でも海がとても好き、メキシコがとても好き、という純粋な気持ちがとても伝わってきて、私はその人が働いているポジションにつくなんて出来ない、、とどうも気が引けてしまったのでした。

オーストラリアに戻り、メキシコのビザの手配を末永く待っていたのですが、アメリカからの書類やメキシコからの書類など、本当にとっても時間がかかり、その間に私はオーストラリアのセーリングクルーズ会社でダイビングインストラクターとして、働き始めていたのでした。

メキシコに戻るかオーストラリアの会社でスポンサーになってもらうか、本当にその時の私は毎日悩みました。初めて胃が痛くなってしまったくらいです。
結局その時は、欧米人のたくさん乗る憧れだった船で働けていたこともあり、オーストラリアに残ることも決めたのでした。オーストラリアでもっと経験を積んでからでも遅くはない、、と思ったのでした。

その後も、コスメルの海が忘れられず、今度はマイクとコスメルに再度行ったのですが、素朴だったコスメルもさらに観光地化されていました。
1ヶ月マイクと滞在してみて、やっぱり私はオーストラリアで落ち着こう!と気持ちがとても落ち着いたのでした。

現地で仕事は見つかったものの、結局はオーストラリアに住む事を選びましたが、その時の私は、コスメルに行ってみれば、絶対仕事が見つかる、行ってみよう!と少しも疑いがなく、信じきっていました。

そういえば、オーストラリアに来た時も英語のために、絶対にオージー達ばかりが働く船で働く、、、と決めていて、そんな会社ばかり探していて、気がつくとそんな仕事をGETしていたのでした。

いつまでも熱い思いを忘れることなく、自分を信じて、夢を叶えていきたい!と思うのでした。

読んでいただいてありがとうございました。